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マリーからの封書  From Donna

思えば、75年に来日した時、泣いて暴れてやっと3月9日の武道館コンサートに行くことを親に許してもらい、まだ雪の残る故郷をあとに始発電車に乗ったのでした。

それも父親同伴で。。。私はルンルン、父ショボショボ。

その日のコンサートは夢を見ているようで、彼らは雑誌から抜け出して眼の前にいるのだなと、現実感がありませんでした。

 

次の日の朝、彼らに会いたい一心で、父を東京の旅館に残してホテルに行きました。

しかし、どうしたら会うことが出来るかわからず、知り合いもおらず、途方にくれてホテルの廊下で泣くしかありませんでした。

 

どう見てもお上りさんで未成年、そしてやたら泣いている。そんな私を不審に思ったのか一般客のNさんご一家が話しかけてきてくれたんです。

私が成り行きを話したら「あー、あの兄弟なら夜、廊下でゴルフをやってたで(関西弁でした)」と教えてくださり、Nさんのおばあちゃんが旅館で休んでいる父に連絡を取られ、父が呼び出される始末でした(トホホ)

 

そのうちにオズパパが眼の前に現れたんです。

たぶん、騒ぎを聞きつけて出てきてくれたのか、Nさんご一家が呼びに言ってくれたのかのどちらかだったと思います。

そして、英語に堪能なNさんのお嫁さんが、オズパパに「ずっとこの子は待っていたんだよ」と話してくれたようで「じゃあ、ついておいで」ということになり、ダニーの部屋の前まで行くことができました。

 

ノックして彼を呼んでくれたのですが、もう、出てくるまでドキドキ、バクバク。

 

すぐに顔をのぞかせたダニーは、シャワーを浴びた後らしく、髪が濡れていました。

顔だけしかのぞかせなかったけれど、私の瞳をじっと見て、笑顔で、手が痛くなるほど硬い握手をしてくれました。

 

何もお話はしなかったけれど、「マリーに」と言って田舎の手まりを手渡した時、

「Oh ! to Marie」と言ってとても喜んでくれたのを覚えています。

 

手まりは直径10センチくらいで、赤やピンクの刺繍がしてある飾り用のものです。

「貴方の歌声はダニーにそっくり。いつも遠くの国から応援しています」と言う手紙も添えました。

 

 

そんな私の後ろには、呼び出しをくった父とオズパパがいて「ユーもファンなのかい?」

という質問に父は「ザッツ ドーターズ ファーザー」などと、つたない英語で返事をしていました(汗)

 

 

その後、汽車の時間もあり、心を残して帰郷しました。

しかし、帰郷してからのつらかったこと。。完全にOSMONDSICKNESSにかかりました。

しばらくボーっとして何も手につかず、涙が自然に流れてきて、周りにはあまりオズファンがいなかったので、大阪のペンフレンド(JAYのFAN)さんに泣きながら話を聞いてもらったりしてました。

 

そんなある日、ホテルの封筒で封書が届きました。

美しい字でした。中を開けて見ると、マリーからの礼状でした。

 

ほんの3行くらい、

「THANK YOU ○○  貴方の思いやりに感謝します。 マリーオズモンド」

そんな内容でした。

 

マリーにとっては事務的な礼状だったかもしれないけれど、○○に私の名前も入れてくれて、ほんとうに嬉しかったのを覚えています。

封書の文書の最後にあったサインと私の住所の筆跡が同じものだったので、マリーの直筆だと今でも信じたい。。。いえ信じています。

 

 

その封筒も何かのくぎりの時、処分してしまったようです。

お宝にしておけばよかった。

まさか、またオズへの愛が復活するとは思わなかったもので。。。

 

私はホテルでのファンミーティングにも、京都の観光にも参加できませんでしたが、この小さなメモリーを心の片隅にずっとしまっていました。それを呼び起こしてくださったこちらのサイトにとても感謝しています。

(そしてご迷惑をかけたNさん御一家、親ばかと言われても東京に連れて行ってくれた父にも。。)

                          

 (文 : Donnaさん)

 

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